配られたカード
「配られたカードで勝負するしかないのさ」
って言葉が好きである。
スヌーピーの名言だ。
自分がなにか人とちがっているなと薄々気づきはじめてから、僕はそれを信条としてきた。
自分にないものを持っている他人をうらやましがっていてもしかたがないのだから、自分にできることで勝負する人生にしようと。
人に性的欲求を抱けないし、好きになったりしづらいのは、しかたない。そうしたカードは、自分に配られなかったのだ。
では手持ちの札で、どうやって勝負しようか?
友情結婚の活動をしていて、自分はまだ「ふつうの幸せ」っていうものを、あきらめきれてなかったのかな、と思った。
でも、この活動はおそらく、「ふつうの幸せ」を求めるものではなくて、ふつうではないことを割り切った上で、その上に自分なりの幸せを形づくるものなのかなと思う。
自分の場合、ふつうではないことを割り切った先にあるのは、べつに結婚ではないのかなぁ……と思ったりする。