ノンセク男が友情結婚を考えてみた!

ノンセク男。
このごろ友情結婚というものを知ったので、活動しながら考えたことを綴ってみる!

活動をとおして

友婚活動、いったん休止。
せっかくなので、活動記録。



一人め:

一回り年下の方。


僕もはじめてで緊張していたけど、相手も輪をかけて緊張していた。
婚活はじめるときに、とにかく相手に楽しくしゃべってもらえるようにしようと思っていたので、
話を引き出そうといろいろ試みてみたのだけど、会話は局地戦、散発的な戦況…。


プロフィールを交換しているのに、こっちのこと、なんにも訊いてくれないな。
せめて趣味や仕事についてくらい訊いてほしかった。
これはぜんぜんこちらに興味ないのだろうな~、と思って、小一時間で別れて終わろうとしたのだけれど、もう1度会いたい旨の連絡を受けて( ゚д゚)ナニィ!?
まぁかなり歳下の人だったので、相手側から訊いたり話題を出したりって感じには、ならんのだろうけど。


ノンケなら性欲パワーがあるから、反応薄くてもがっつりリードできるのかもしれないけども、こちらからボールを投げつづけるだけでは、すぐに疲れてしまうなと。
投げ返してくれる人がいいなと思った。



二人め:

超高学歴の方。


頭が良くて、仕事も楽しんでいる人で、話していて楽しかった。
雑談したり遊びにいったりしているぶんには楽しかったのだけど、
家族観とか結婚観の話になると、違和感が多かった。
両親が弁護士で、自分も元看護師だからだろうか、
非常に合理的かつドライに物事を捉える人で、いろいろとデリケートな話をめっさめさドライに語っていくので、
(おたがいを思いやれる家族がほしいなぁ……(ヽ´ω`))
なんて思ってた僕は、砂漠に引きずりだされたサカナ状態に!


僕、家庭には精神的な充足みたいなものがほしいと思ってるんすよう、みたいな話をしたら、うん、合わないな、という流れになった。
相手は、自分の希望するライフスタイルがあって、それに合致する相手を求めている、というタイプ。
それは悪くない…というか、この形での結婚が成立しやすいのはそっちタイプだろうなと思う。



三人め:

しっかりしていて真面目な方。


結婚観とか家族観は結構合っていたんだけど、
婚活に焦り&疲弊している感じを受けてしまって、なんだか腰が引けてしまった。

いろいろなリスク・シミュレーションなど洗いだされていて、しっかりしているなぁと思う反面、そのしっかりさがちょっとしんどく。
僕も活動をはじめる際に、結婚は生活なのだし、経済的・身体的なこと含めかなり真剣に考えたのだが。
ただ、まずは相手に対して好意や興味を抱けなければ、いくらシミュレーションしたところで空手形にしかならないと思っているし、なんだか心がついてこねえ。



四人め:

おっとりした方。


特に仕事や趣味を楽しんでいるわけでもなく、ずっと実家暮らしで家事なども全部親がやっていて、子供はいらない、体が弱くて、結婚は両親がいなくなったあとの老後の不安から……と言われてしまうと、


うーん、結婚する理由が何もないな!


相手に対してなにか尊敬できる面がないと、うまくいかないなと思った。



番外:

おたがい求めてるものがちがうことは承知の上で、情報交換でもしようか、とお会いしたMさん。美人さん。


ビアンの方なので、やっぱりノンセク・Aセクとはちがう、恋愛の業を知ってらっしゃる方だなと思った。


いろいろLGBT話ができて楽しかった。

配られたカード

「配られたカードで勝負するしかないのさ」
 って言葉が好きである。
 スヌーピーの名言だ。





 自分がなにか人とちがっているなと薄々気づきはじめてから、僕はそれを信条としてきた。
 自分にないものを持っている他人をうらやましがっていてもしかたがないのだから、自分にできることで勝負する人生にしようと。
 人に性的欲求を抱けないし、好きになったりしづらいのは、しかたない。そうしたカードは、自分に配られなかったのだ。
 では手持ちの札で、どうやって勝負しようか?


 友情結婚の活動をしていて、自分はまだ「ふつうの幸せ」っていうものを、あきらめきれてなかったのかな、と思った。
 でも、この活動はおそらく、「ふつうの幸せ」を求めるものではなくて、ふつうではないことを割り切った上で、その上に自分なりの幸せを形づくるものなのかなと思う。


 自分の場合、ふつうではないことを割り切った先にあるのは、べつに結婚ではないのかなぁ……と思ったりする。

第一にあるもの

友情結婚婚活としていろんな人と会ってみてはいるのだが、おそらくこの活動をとおして、自分の欲しかったものは得られないのだろうな、と思いはじめている。


活動しているうちに、友情結婚活動は、「自分の希望するライフスタイルとか家族観」がまずあって、「その枠の中に当てはまる他人を探す活動」なのだな、とわかった。


僕の場合は、自分の希望が第一にあるわけではなくて、「相手」がまずあって、「その相手に対して親愛を覚えて育めるかを探る活動」をしたかったらしい。


活動しているうちに、枠組みの中に他人を当てはめるようなことをしていることに、自分がするのもされるのもいやだなと、違和感を覚えはじめた。


もう数人会ってみて、終了しようかなと思っている。