ノンセク男が友情結婚を考えてみた!

ノンセク男。
このごろ友情結婚というものを知ったので、活動しながら考えたことを綴ってみる!

友情結婚における別パートナーの存在

活動していて感じること。

友情結婚にもいろいろな形があるが、パートナーありの人の考える友情結婚と、パートナーなしの人の考える友情結婚って、同じ友情結婚でも中身別物なんじゃないかと思う。


ゲイやビアンでパートナーを持っている人の考える友情結婚って、なんというか、ある程度「割り切り」ができている感じがする。
「愛情」とか「精神的充足」とか、ちょっとロマンチックな感情の方は、同性パートナーの方で満ちている。
彼らが友情結婚に求めるのは、「社会的承認」とか「希望ライフスタイル」の方。
そうした区切りができているから、ある程度ドライに条件から結婚を決められるのかなと。
もちろん、性格の相性とかもあると思うんだけど、重要度はそこまで大きくないのかしらと。


でもノンセクの僕の立場からいうと、結婚というものにまず求めるのは、そうしたロマンチックな感情の方だ。
家庭の「安らぎ」とか、おたがいへの「愛情」とか、精神的充足の方をまず求めてしまう。肉体関係はできないけれど、愛はほしいよなっていう。
それが「ふつうのあたたかい家庭を築きたい」って、みんなよく言うフレーズにあらわれるんじゃないかなあ。
蜃気楼のようなものだとはわかっていても。


ただ、ただでさえ活動人口の少ない友情結婚活動の中では、そうした曖昧な感情を秤にして相手を選ぼうとすると、とてもむずかしい。
だからどうしても「条件」の話がとっかかりになったりはするんだけど……いや、そんなドライな結婚だったらべつに求めてないんだけどなぁ、と、もやもやっとしたりもするんだ。
そのあたり割り切れなくて、進まないって人も多いんだろうなぁ。

僕の自認

中学生くらいで男子同士の猥談についていけなくなった僕は、自分と周囲のあいだに違和感みたいなものを感じはじめて、人とやや距離をとって接するようになった。


それはそうだろう。
みんなが共通して盛り上がってる話題があって、がんばれば多少なら合わせることができるけど、やっぱり自分が入るとその熱量に水を差してしまう。
盛り上がってるやつらは、盛り上がりたいのだ。
理解できなけりゃ、距離をおくしかない。


とはいえ、それはそれだけのことだった。
表だって猥談したりしない男のグループだって当然あるわけで、そうしたやつらと仲良くやってただけだ。
自分が欲薄いタイプだってくらいの自覚はあったけど、それがそんなにマイノリティだなんて思ってもいなかった。
これくらいのやつ、よくいるもんだろうと思っていた。



だから自分のセクシャリティを自覚していったのは、異性とつきあってからになるだろう。


高校生のとき、告白されて彼女ができた。
かなりの遠距離恋愛で、会うのは半年に1度くらいだった。
2回めのデートで、キスをした。
彼女が目を閉じて、求めてきたので。


キスした僕の感想は、「なんだかごっこ遊びっぽいな」だった。


キスしたかったわけではなく、当然ムラムラしてしたわけでもなく、ただ恋人であるならそういうことをするものなのかな? と思ってやっただけ。



後日。
僕はそうした感想を、正直に彼女に伝えてしまった。
悪気なんてなかった。まずいことを言った自覚とか、全然なかったのだ。


けれど彼女は泣いてしまって、ひどく傷ついた様子だった。
僕がごっこ遊びくらいに思ってたことが、彼女にはとても大切なことだったのだ。
自分がひどく冷淡な人間な気がした。

僕は彼女との距離感が、よくわからなくなった。
思ったままのことを言って、怒られるならともかく、傷つかれるのはつらい。


ともかく、そうしたことを言ってはだめだ、と僕は考えた。
男の僕は、狼のように振る舞わなければいけない。それがふつうなんだ。
好きな異性には、キスしたくなるものらしい。
彼女といっしょにいるのは楽しいけれど、したくならない僕は、彼女のことが好きではないってことか? これは友情であって恋ではないのだろうか?
いや、はじめてのキスで、緊張してたからだ。ほんとは自分だって、求めたくなるはずだ。



つきあった期間は5年。
ぐるぐるぐるぐる、お互いのまわりを回り合うような関係だった。


二人で泊りがけの旅行にも行ったし、彼女の部屋に泊まったりもした。
いっしょの布団に入って、服を脱がせようとしたこともある。
でも結局僕は、キスもセックスも求めたくならなかったし、求めるふりをする自分が辛かった。
それを打ち明けて彼女を傷つけ、だから口にしないようにして、お互い気になっているのに見ないふりをして背中で会話して、好きなのかどうかすらもはやわからくなって、大事だと思ってるっていくら言ってみたところで、距離はもう埋まらなくなってしまった。


彼女にほかに好きな人ができて、ようやく別れた。
5年間苦しめてごめんって言われた。こちらこそって感じだ。


別れて思った。
ああ、長かった。ほんと長かった。


自分には、無理だ。




当時はまだ、ネットも黎明期。
Aセクシャルとかノンセクシャルとかいう言葉をみつけることもできなかった。
仲間なんてだれもいなかったし、一人ですべて考えるしかなかった。
そういう人たちがいると知ったのは、別れてから数年経ったころだ。あ、俺、これなんだなあ、と腑に落ちた。
当時わかっていたら、なにかちがったのかなあ。

背伸び

男子が猥談をはじめるのは、小学校高学年から中学生にかけてである。


みんなで自転車で遊びに行く途中、とりあえず放送禁止用語をさけぶバカとかが出てくるのが、この頃だっていうことだ。
この頃の男はダメである。
国語辞典でHな単語にマーカーを引く性字家なる者があらわれたりして、ほんと、どうしようもない。


僕はというと、そんな周囲を見やりながら、
(やれやれ、みんな子供っぽいなぁ…)
と思っていた。
べつに興味ないくせに、背伸びしちゃって。
そういうことは、もうちょっと成長していったら、もっと自然に興味でてくるものだと思うぜ。
そんな、無理して、大人ぶらなくてもさ。


そう思ったまま、1年が過ぎた。
2年が過ぎた。
3年が過ぎ、5年が過ぎ、10年が過ぎ、20年が過ぎた。


……ごめん、自然に興味でてきませんでした。


みんな、背伸びとかじゃなくて、ふつーに興味しんしんだったんだなぁ。
子供っぽいのは俺だった、という話。